情報の発信、捉え方に対する姿勢について

必要な情報、知識を入手するために人から話を聞いてみたり、本を読んだり、ネットで探したりと
いろんな方法を使って情報を探すと思います。


自分が興味があったり必要だと思った情報であれば間違いなく
その情報を頭に入れようとしますよね。
ですがそうでなかった場合はその情報はどのように処理されていますか?


1.興味ないけどとりあえず聞く、読む
2.必要ないから大して聞いていない、読まない


大抵この2つで終わってしまうんでしょうけど、1の選択肢を選んだときは
いろんな反応があると思います。

例えば自分は随分前から知っていることで何を今更?と思うようなことを
これはすごいでしょーみたいに言ってる人がいれば間違いないくこの人は大した人じゃないから
話を聞いても無駄だとか思ったりしませんか?


他にも全くの自分の意見と違う考えを聞いたときに自分がの方が間違いなく正しいと思えば何を言ってるんだ?全然この人だめじゃん!!みたいな事になったりしてません?


もちろんそれでも構わないのですが、少し姿勢を変えるだけでも意味のない批判、否定、争いはなくなるのではないかと思います。
本の場合であれば、著者が全ての人を対象にして書いた訳ではない物もあるでしょう。
例えば何でもいいですがある分野の上級者がいてその人がその分野の入門書を読んで全然大したことないって言ってるのはおかと違いもいいとこです。
これはかなり極端な例ですがこんなことでさえ実際それに近いことでたくさん批判は起こったりしてませんか。


相手がなぜこのメッセージをこちらに伝えようとしてるのかを考慮しないまま
自分の意見と違うだけで、批判したり、否定したり・・・。


先ほど例としてあげた人の話を聞く、読書、ネットサーフィンは全てコミュニケーションです。
相手がなぜそのメッセージを発しているのかを理解しないまま切り捨てるのは少し配慮がなさすぎのような気がします。
(もちろん自分にとってほんとに必要のない情報まで配慮しろなんていってるわけではありません)


逆に少しでも気になったものに関してはせめて、なぜこの人はこんなメッセージを出しているんだろうと考えることによってその人から新たなアイディア、考えを発見できればそれはとてもラッキーなことだと思います。